展示
舟運歴史館
River Transport Museum
日本三大急流のひとつに数えられる富士川。今から400年前、徳川家康の命を受けた京都の角倉了以(すみのくら りょうい)らの手により、鰍沢から岩渕(現在の静岡県富士市)までの水路が開通しました。ちょうど信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削によって富士川舟運の要衝地となり、鰍沢河岸は流通の拠点として大きく発展していました。
当館では「富士川舟運の始まりから終りまで」を資料とパネルの展示・ボランティアによる解説で、富士川舟運の歴史と文化を学ぶことができます。
[常設展示]富士川舟運が運んだ人・モノ・文化
舟運歴史館内には、当時使用されていた渡し船の展示をはじめ、さまざまな資料・パネルが展示されています。当館の見どころを一部ご紹介します。
見どころ
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高瀬舟
全長:縦 13.3m、横幅 1.8m、 高さ0.85m
富士川の舟運に用いられ、鰍沢から岩淵までの約72㎞の距離を半日で下ることができました。最大で20人の乗客、米俵32俵を積載することが可能、船体は柔軟性に富むモミ材を使用しており、浅瀬で船底が擦れても裂けにくい構造になっていました。高瀬船の1/10サイズの模型が舟運歴史館に展示されています。また、床には実寸大の舟形がかたどられた模様がありますので、大きさを体感してみてください。
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渡し船
全長:縦8.8m、横幅1.7m、高さ1m
当時、箱原から鹿島(ともに富士川町)を結ぶために使用されていた渡し船が現存しており、当館で展示しています。(鬼島から現市川三郷町の法師倉間でも使用されていたという説もあり)
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大スクリーン体感シアター
富士川舟運の水路開通までの物語や鰍沢河岸繁栄の歴史、今日の富士川町に語り継がれる文化など、富士川舟運の歴史を映像で学ぶことができます。
また、日本財団海ノ民話プロジェクトが制作した富士川舟運にまつわる民謡をアニメ化した「まりつき唄」も見ることができます。実際に使われていた渡し船に乗船しながら視聴可能なため、歴史好きのみならず、社会科見学にもご利用いただけます。 -
数々の資料と展示物
富士川舟運の歴史を年表にまとめた巨大パネルや当時の貴重な資料を数多く展示しています。
・船が川をさかのぼる? ・落語鰍沢のオチとは?
・下げ米、上げ塩とは? ・信州では塩を「鰍沢」と呼んだ?
・葛飾北斎が描いた富士と岩と波しぶきとは?
ぜひ、資料と展示物をご覧いただき答え合わせをしてください。